プロフィール

名前  - きい

生まれ - 1987年 福岡県・北九州市

略歴  - 武蔵野美術大学を卒業後、広告代理店営業、機械メーカー総務、WEBデザイナーとして働く。21歳頃から、統合失調症や適応障害、ダイエット依存、抑うつ状態などに悩み、治療を続ける中で、心理学・心理療法に興味を持つようになる。認知療法やアドラー心理学などについて独自に学び、症状は劇的に改善。その経験から、2017年3月よりInstagram(@kiitanuma)で投稿をスタート。

著書  - 『「私は自分が好き」と言うことから始めよう(大和出版)』『しんどい心にさようなら(KADOKAWA)

 

 

誕生〜現在まで

少し詳しい自己紹介です。

私は1987年11月に福岡県で生まれました。
兄、姉、私。3人兄弟の末っ子。教育熱心な家庭に育ちます。

姉と一緒に4歳からピアノを始め、音楽が大好き。もっと好きだったのはぬり絵とお絵描き。インドア派、でも外も走り回る、明朗快活な幼少時代を過ごしました。

 

<小学生時代>小1の夏に足とお尻に大火傷を負い2ヶ月の入院を経験。病室生活や車椅子、怪我との付き合いは今思えば大変でしたが…それよりも人間関係の不調和が小学生の頃は多く、こちらの方が辛かった。グループから孤立して苦しい気持ちになっていたこともありましたし、小5ではクラスの女子からの総無視、そこそこ長い間のハブられを経験しました。このことがその後の自信のなさや生きづらさにも影響します。

 

<中学生時代>親友からの大きな裏切りに遭いました(この経験も「信じたら裏切られる」というトラウマになっていたとのちに分かりました)が、当時は上手くやっていました。卒業式のクラス写真では女の子たちの中心にいるほど、基本的に明るくどんなタイプの人とも分け隔てなく接する気質が発揮されていました。

 

<高校生時代>福岡県内の進学校へ。周囲のスゴさに太刀打ちできずやる気を無くし、勉学からは離脱して美大受験を志します。部活は料理部、高2から美術予備校へ通いながら、音楽好きの気持ちが沸き上がり友達とバンドも組んでいました。

 

<浪人時代>人生初めての大きな挫折。現役合格できなかったことを、自分以上に親が苦痛を感じていたことにショックを感じていました。なるべく迷惑をかけまいと、泣き言や本音を言わず、先に大学生になった友達や浪人友達とも距離を置き、たまにインターネットのチャット掲示板で知らない人に構ってもらう日々だったかと思います。親への後ろめたさが辛すぎて、せめてお金だけでもと風俗バイトを考えるほど罪悪感と居場所のなさで精神的に追い詰められていました。

 

一年浪人の後、東京の美術大学に合格。上京。

 

<大学生時代>夢の美大生活。楽しい東京。かと思いきや「こんなに人がいるのに孤独」。学内の友達関係に馴染めなかったこと、大失恋したことをキッカケに、21歳のとき統合失調症を発症。
軽度、早期発見だったため、薬物療法とカウンセリング、生活改善により1年程で頓服薬だけになります。症状は治まった、けれど根本的な心の悪習慣は変わっておらず抑うつ状態や依存、生きづらさは27歳まで続きます。

「感性が豊かだから病気になったんだね。病を責めなくていいからね」と言ってくれた病院の先生、それから唯一病気を打ち明けた姉の存在。「私はあんたがどうなっても味方」という言葉に命拾いしました。

(調子の良い時と悪い時との波に振り回されることが多かったです。「落ちるのが怖いから調子が上がるのも怖い」なんて思いもあり元気を自ら抑圧することもありました。そんな中でも当時付き合いのあった学外での友達、先輩、バイト先とは今でも時々連絡を取る仲になっています。この頃周りには精神的な不調や悩みがあることを隠していましたので、今の仕事やメンタルのことを伝えると非常に驚かれます)

 

2011年3月。震災の影響で卒業式がなくなるも無事に大学卒業。

 

<新卒時代>広告代理店に入社し、企画営業部の配属になりました。
入社前のイメージとかけ離れていた営業職、同期と必ず顔を合わせ会話をすることになる社員寮、冷たい上司との関係…。これらと当時の心の癖(過剰に自己否定、依存、他責、ネガティブ、地震恐怖、傷つきやすい…etc)が掛け合わさってメンタルの平穏が保てず、ほとんどの時間神経が緊張状態。体調を崩し適応障害の診断を受ける。5ヶ月で退職。
社会人としての自信が底辺に落ちます。

 

<第二新卒時代>
退職後社員寮を出るとともに福岡へ帰郷。無職の期間を経て、心が病んでいる時間も多い中3年間地元の機械メーカーで管理部総務事務職に従事しました。(派遣社員)
ここで身に付けた会社組織全体の把握や人事・教育経験が、現在の心の仕事にも役立っています。それほど大きな仕事をしていたわけではないですし見方によっては回り道したキャリアでもありますが、通ってよかった道です。

(適応障害を引きずっていて、生きる自信を失っていた最初の1年間は連日激しく病んでいました。職場ではザ・OL制服を着て働いていた頃です)

 

<再上京時代>
その後どうしても東京でのものづくりが諦められず、正社員昇格を断り、26歳で再上京。再就職活動をしてWEBデザイナー採用が決まりました。東京に飛び出してから働き口が決まるまでは不安でたまらなかったことを覚えています。
そして働きながら、当時付き合っていた彼氏との関係で自分自身と向き合い、このタイミングで心理学に出会います。

 

<心理学の学びと変化のはじまり>
27歳、心理学・心理療法と出会い電撃が走ったように自分の性格と今までの人生が繋がりました。「そうだったんだ」「私だけじゃなかったんだ」「こうすればいいんだ」「こうしてもいいんだ」。深い気づき、心の学習とトライ&エラーが怖さもあるけど楽しくて、見た目は変わらなくても心はどんどん軽く変わっていきました。

 

<再起>
29歳。「もし同じように悩んでいる人がいるなら大丈夫だよと伝えたい」と思い立ち2017年3月にインスタグラムを始めます。
心理学の学習時間確保のため会社を退職。同時に長年同棲していた彼氏とも別れることになりました。

 

<その後の歩み>
30歳、2017年12月 1冊目の出版。私の選択に反対していた父母の理解も少しずつ得られるようになっていきました。
アルバイトと副業でカウンセラーを始め、ダブルワークを約6ヶ月経験しました。

(とても働きやすい環境でした。応接室に本を置いてもらっています)

 

31歳、2019年1月独立。
心のことだけで生活できるようになります。
インスタグラムフォロワーが10万人を超えました。

 

32歳、2020年3月 2冊目の出版。
インスタグラムフォロワーが15万人を超えました。

 

33歳、現在。
年間約300件の個別サポート(カウンセリング)を行っています。加えておはなし会の開催とオンラインサロンの運営を行いながら「生きやすくなる人が1人でも多く増えますように」という当初の願い通り、多くの応援に支えられ、プライベートも充実させながら活動をして日々生きています。

 

将来

私は自分自身が生きづらかった経験から、「生きやすくなる人を一人でも多く増やしたい」という想いを持っています。

一人でも少しでも軽やかな人や身軽な時間をもつ人が増えれば、その周りの人の生きやすさや幸せも増える、とも思っています。

 

そのために、心理学やメンタルケア:「心のこと」をこれからも広めていきます。

新しい目の向け方、考え方を提案すること。安心・学習・背中押しが必要な人へこれからも届けること。そのために自分自身も充実と学びと成長を続けていくこと。

 

楽しみながら、喜びながら、これまで通り自分なりに丁寧でカジュアルな表現をしていきます。

生きづらさを抱えている方、自分が嫌いでしんどい方、人生に迷っている方、生き方に磨きをかけていきたい方の応援をしていますし、これからも何かお役に立てましたら幸いです。

出会ってくださりありがとうございます。

 

きい(最終更新2021.3.25)

 

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http://ikiyasu.com/2020/12/19/pastevents/

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